かつて常設されていた桂浜展望台と桂浜大展望台について
現在は(龍馬大地の)坂本龍馬の銅像横にゴールデンウィーク前後2ヶ月間と、龍馬の誕生日前後2ヶ月の合計4ヶ月間「龍馬に大接近」と題して仮設の特設展望台を設置して、龍馬の目線で太平洋を眺めるイベントが開催されています。
この仮設の特設展望台は毎回好評みたいで、このイベントもすっかり定着し春と秋の桂浜の顔になった感じです。
タグ:龍馬に大接近
初代の展望台が取り壊された後に二代目の展望台が設置され、昭和初期から40数年間はあったとされています。
今回は便宜上、初代展望台を桂浜展望台、二代目は少し大きかったので桂浜大展望台と呼ぶことにします。
桂浜展望台と桂浜大展望台の概要
◆ (初代)桂浜展望台(絵葉書より)
(初代)桂浜展望台
高さ10m三階建て。主に浦戸湾向きを見下ろせる。4本の柱のみ鉄骨で後は木造でした。
◆ (初代)桂浜展望台(絵葉書より)
※桂浜展望台からの種崎方面の景色です
(二代目)桂浜大展望台
鉄筋コンクリート、高さ30m/30㎡で1階には食堂もあり。10人乗りエレベーターで展望台には望遠鏡も設置される。浦戸湾や太平洋を360度見渡せる。
桂浜展望台と大展望台の歴史
◆ (二代目)桂浜大展望台(絵葉書より)※山の頂上付近にある赤茶色の塔です。
桂浜のお土産店がまだ本浜にあった頃です。遊歩道が海側に少し出た場所一体が桂浜水族館です。現在の位置より東の桂浜ビュー下に桂浜水族館はありました。
※実はこの絵葉書には注目スべき点がまだまだあります。龍王岬に着目してください。西浜から本浜まで砂浜の地続きになっています。それと、対岸の千松公園前の砂浜が浦戸湾までずっと続いています。
- 昭和8年(初代)桂浜展望台(1933年) 桂浜水族館(注1)の初代館長(永國 亀齢 氏)が1933年(昭和8年)に桂浜展望台を建設する。※入場は有料だったようですが料金は未調査。
(注1)桂浜水族館の開館は古く昭和6年4月1日(桂浜水族館 公式サイトより)
- 昭和17年桂浜展望台を高知市に寄附1942年6月1日 浦戸村から高知市浦戸へと合併になる。
この時、桂浜展望台が高知市に寄附され以後は入場無料となる。※昭和16年との説もあり。 - 昭和29年5人以上の入場は危険とされ高知市長の立て看板が設置される(1954年) 専門家に桂浜展望台を調査してもらったところ老朽化著しく5人以上は危険とされ高知市長名で入場者を制限する立て看板が設置される。
※20余年の間に10万円の予算で塗替えと一部補修しただけだった模様で、この頃は”おばけ屋敷”と揶揄されていたとこのと。
- 昭和30年桂浜展望台を取り壊し1955年4月14日 シロアリに蝕まれていて人夫も驚くほどだったとのことです。
高知市が新たに展望台を建設する予定だったが、県交通が名乗りを上げる。
予定では、同年に建設し当時桂浜にあった子供の国(注2)にロープウェイ(注3)で結ぶ計画もあった模様です。(注2)現在の桂浜水族館の大プール周辺に子供の国がありました(県交通が運営)(お土産店の店主談)
(注3)ロープウェイは予定だけで設置されていた記憶にないとのこと(お土産店の店主談) - 昭和33年桂浜大展望台がオープン1958年3月20日 計画から3年遅れて桂浜の浜開大会にあわせ桂浜大展望台がオープンする。
入場料:大人20円 / 子供:10円
バスの利用者などにスピードくじを配布し抽選会をおこなう。
・1等:高級洋服ダンス (1本)
・2等:整理ダンス (1本)
・3等:二級酒 (10点)
・4等:かまぼこ1箱 or かつお節1箱 (各30点)
※5等以下の賞もあったが省略しました晴天にも恵まれ大盛況で、セレモニーに200人、3,000人の人出があったとこのと。
前年の10月に有料観光道路(注4)ができ相乗効果を狙う。(注4)浦戸大橋ができるまでは六体地蔵の少し西側に料金徴収用のゲートがあった模様です(お土産店の店主談)
- 昭和47年展望台を含む周辺の土地建物を高知市が取得(1972年) 桂浜公園として整備するため高知市が桂浜ヘルスセンター(注5)と桂浜大展望台の土地及び施設を買い取り。
桂浜荘と桂浜ヘルスセンターを2階で連結し運営する予定だったようですが市旅館組合の反対で実現できたかは不明。(注5)経営不振のため前年10月から閉鎖中でした。(県交通が運営)
- 昭和??年桂浜の大展望台を取り壊し※現在調査中!
- 令和5年高知灯台前に小規模な展望台を設置高知気象台の敷地内に展望所兼展望台が12月3日にできました。