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過去にも破損していた龍宮橋付近 - 修復の記念碑がひっそりと龍宮橋近くに現存している

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桂浜の龍王岬の龍宮橋付近の修復について

得月楼 松岡寅八 記念碑(場所)

◆真新し遊歩道と松岡寅八記念碑

平成30年9月の台風によって龍宮橋及び龍王岬に続く遊歩道が破壊され半年以上も通行禁止になっていました。

修復工事が完了したのが令和元年5月1日ですから結構大掛かりな工事となりました。

その様子は幣ブログでも追記しながら記録しています。

現在の桂浜は桂浜公園となっているために国の都市災害復旧事業として修復されたようですね。

 :

昭和元年?昭和二年?に龍宮橋付近が破損して松岡寅八と言う方が資材を投じて修復したと書かれた記念碑があります。

場所は龍王岬に向かう遊歩道脇の龍宮橋の近くです。

桂浜水族館を過ぎて龍宮橋に向かうと桂浜から高知灯台方面に抜ける野路菊の小路の階段がありますが、その階段の手前(右手側)ですね。(本投稿のトップの写真を参考にしてください)

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修復の記念碑の碑文全文

碑文は以下の通りです。一部の文字は既に解読できない状態にもなっています。

得月楼 松岡寅八 記念碑(縦写真)
桂濱ハ高知ノ名勝ニシテ松青ク砂
白ク巖上ニ龍王宮リ風景絶佳土
佐ノ江島ト稱セラル得月樓主松岡
寅ハ翁敬神ノ心厚ク資ヲ投ジ神橋
道路ヲ修シ景勝益加ハル今記念碑
ヲ建ツルニ及ヒ併セ之ヲ傳フ
昭和二年二月一日
   浦戸村長 小松茂盛識

注1:”道路”の路は旧字?フォント無し
注2:”龍王宮祀リ”との説有り
注3:一部解読出来ない文字有り(灰色下線)
※間違いがあるかも知れません。

表現として気になるのは、”土佐ノ江島”ですね。江島?江ノ島?でしょうか。桂浜をどこかに例えた表現は余り聞いたことが無いので気になります。

桂浜はかつて浦戸村に属してました。浦戸村は1942年(昭和17年)6月1日 に 高知市に編入され同日より「高知市浦戸」となりました。

松岡寅八 記念碑をズーム写真で記録しておきます

得月楼 松岡寅八 記念碑(ズーム[上])

◆松岡寅八 記念碑(上)

得月楼 松岡寅八 記念碑(ズーム[中])

◆松岡寅八 記念碑(中)

得月楼 松岡寅八 記念碑(ズーム[下])

◆松岡寅八 記念碑(下)

この記念碑についてググってみましたが余り言及されているブログは無かったですね。機会があればもう少し調べて後日加筆します。

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得月楼(旧:陽気楼)と松岡寅八翁

現在の得月楼 (玄関付近の行灯)

碑文にある得月楼(樓)とは映画「陽暉楼」の舞台となった土佐の老舗料亭で現在もはりまや橋近くで営業しています。

映画『陽気楼』は、1983(昭和58)年9月10日に公開された映画で土佐の花柳界を舞台に生きる女衒の父と芸妓となった娘との愛憎を描いたストーリーです。

五社英雄・宮尾登美子の二作目として公開されましたが、前作は夏目雅子の『なめたらいかんぜよ!』のセリフで有名な『鬼龍院花子の生涯』です。

その得月楼の初代経営者が松岡寅八氏です。

松岡寅八氏は、中村(現:四万十市)から出てきて鮎屋と言う魚屋を興し土佐藩主山内家の御用達となりました。高知の劇場前などで弁当なども売り一代で財を成して陽気楼を開店します。

明治11年に西郷軍を鎮圧した将軍が高知に凱旋した際に店名を改めるように言われたとのこと。

理由は、『近水楼台先得月』(水辺に近い楼台は真っ先に月の光がさす)という詩から採ったそうです。

最盛期には、本店、中店(現店)、そして浦戸湾の浮かぶ丸山台(他)にも店を構え、一晩に1,000名のお客をさばいていたとのこと。何百人もの芸妓さんを抱えていたようです。

出典:高知の老舗料亭!得月楼で郷土料理「皿鉢」を堪能する

この記事を書いた人
taniYoka

桂浜から車で8分ばぁが自宅の高知市民です。高知の観光名所でありながら(地元目線で)桂浜について解説したサイトが少ないので勝手に色々書いてます。

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