桂浜の古い絵ハガキセット
FINE VIEWS OF KATSURAHAMA 高知名所 桂浜の勝景
今回紹介する絵ハガキの写真も今と比べるとちょっと面白いものがありますが、紙袋の内面の地図に、かなり興味深いものが書かれていました。
へぇ~、こんな所にこんな施設があったの~!?
って、感じの桂浜への観光客の方には全く関係ない地元民限定のネタと思われますが、桂浜の今昔を確認するには絵ハガキの写真でも十分に楽しめると思います。
先ずは桂浜の絵ハガキを紹介する前に、ちょっとこんな話から・・・。
古い絵ハガキの年代を推測する
古い絵ハガキって言っても一体いつ頃の物なのか気になりますよね。
絵ハガキの発売されていた年代って実は判断できるようです。
龍馬さぁ~ん、絵ハガキって発売された年代って判るのぉ~?
大体は判るみたいぜよ!
先ずは、ハガキの通信面の(宛先と文面の境界)線…
線なし | 明治33年(1900)〜明治39年(1906年) |
線が2/3,1/3位置 | 明治40年〜大正6年(1917) [ 写真 ] |
線が1/2位置 | 大正7年〜 [ 写真 ] |
そして、通信面のタイトルの「郵便はがき」の文字…
きかは便郵 | 明治33年(1900)〜昭和7年(1932) [ 写真 ] |
きがは便郵 | 昭和8年〜昭和19年(1944) |
郵便はがき | 昭和20年(終戦)~ [ 写真 ] |
写真の絵葉書なら年代の判る他の印刷物の写真と比べることもできるし、実逓便なら貼られた切手の種類や値段、そして押されたスタンプの日付で判断できるぜよ。
※例えば、この写真は7円切手を張るよう印刷されているので昭和41年~46年に発売されたものじゃね。
龍馬さん、ありがとう。
一応目安ですね。
今回紹介する絵ハガキは、「郵便はかき」と左からの「か」ですので、先の話と一致していません。(汗;
想像ですが、これらの写真は昭和初期から昭和中期頃(昭和30年代)かなと思ってます。
今回も未使用の8枚組なので、全ての絵ハガキは揃っていると思います。
桂浜の絵ハガキを入れる紙の袋
桂浜の絵ハガキ紙のケース(外装)
桂浜の絵ハガキ紙のケース(内装)
内側には高知駅やはりまや橋のバスのルートが描かれています。
高知港と書かれた左が直線になっているのは、宇津野隧道/トンネル(昭和31年開通)が開通した後だと思われます。
以前は海岸線に沿って運行されていたと、昭和33年に発刊された「桂浜の研究」に記載がありました。
桂浜から宇佐方面に伸びる(通称)花街道前の海岸は、戸原海岸って言うんですか。確かに、ずっと西の方には戸原地区はありますね。
浦戸城跡(坂本龍馬記念館)近くには桂浜の展望台もありました。これは色々な絵ハガキがありますので、またの機会に紹介したいと思います。
一番ビックリしたのは、「こどものくに遊園地」が描かれていることでしょうか。
確か、子供の国は、今の高知競輪場のある辺りにあったハズですが移転前はこの地にあったのでしょうか。
と、まぁ「ビックリネタ」が色々と書かれていてこの地図だけでも楽しめました。
桂浜の古い絵ハガキの全8種の紹介
THE FINE SIGHT OF KATSURAHAMA. (KOCHI)
五色の浜鮮やかな海岸風景
現在の波打ち際とそれほど変わりありません。
風潮打ちよせる龍宮橋附近の風景
この時代の象徴的な2本の松があります。
龍頭岬より龍王岬の眺望
この辺りは松が多くなり桂浜は見えなくなってます。
龍王岬より龍頭岬の風景
昔はお土産物店が桂浜の本浜にズラリと並んでいました。
黒潮踊る龍王岬巖頭の龍王宮
龍王宮も今の祠と随分形が違うのがわかります。
大町桂月、田中桃葉先生記念碑
田中桃葉氏は大町桂月氏の弟子だったようです。
施設完備せる美しき水族館
桂浜水族館は、現在の位置よりやや東側の桂浜ビューポイントの下辺りにあったようですね。
全てのお土産店が昭和55年頃、現在の桂浜ステージ周辺に移転していますが、桂浜水族館だけは桂浜の本浜に残っています。
桂浜水族館の海水は地下から汲み上げているようなので、その事が理由なのかも知れません。
砂浜からそのまま水族館の入り口になっているのがスゴくないですか。
坂本龍馬先生銅像
昔も今も何も変わったことはありません。