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吉井勇歌碑 ー 桂浜公園

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Monument by Isamu Yoshii

坂本龍馬像の後方西側にあります。
吉井勇歌碑

碑脇の説明板より

吉井勇は歌集「人間経」の詞書に「昭和6年5月、われはじめて土佐の国に遊びぬ。海は荒かりしかども空あかるく。風光の美そぞろにわが心を惹くものありき」と記している。

碑の詩はこの旅を詠んだ「土佐百首」の一つ。

吉井勇(1886~1960)は歌人、劇作家。東京生まれ。祖父は薩摩藩士、伯爵。勇は初期の歌集「酒ほがひ」「東京紅燈集」などで青春の哀歌を歌い、独特な頽唐歌風を樹立したが、後年「流離のおもひに骨も痩せける」旅を繰返すようになり、歌声もまた変わった。昭和8年、勇は思い屈して妻と離別し、爵位も返上した。翌年、流人のように土佐に入った勇は猪野々いのの(香北町)にいおり(渓鬼荘)を結んで陰棲いんせいした。「人間経」や「天彦」の侘び住みの歌には落莫らくばくたる孤愁こしゅうが漂っている。

昭和12年、勇は孝子夫人を迎えて高知に移り、翌年京都に去った。吉井勇にとって土佐は酒の国でもあったが、更生の地でもあった。吉井勇の歌碑は高知県下に八箇所ある。

碑の文言
碑正面大土佐の海を見むとてうつらうつら桂の濱にわれは來にけり
碑側面
碑裏面
ウィキペディア(Wikipedia)

桂浜公園にある、吉井勇歌碑

地図上の  9  の場所が、吉井勇歌碑になります。

桂浜の碑と跡地の地図

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